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仙台地方裁判所 昭和52年(ワ)1096号 判決

原告

佐藤幸子

原告

佐藤寿樹

右両名訴訟代理人

織田信夫

被告

財団法人大原綜合病院

右代表者

大原光雄

右訴訟代理人

綱澤利平

蔵持和郎

主文

一  被告は、原告佐藤幸子に対し金六三七万四五五〇円、原告佐藤寿樹に対し金五三〇万円及び右各金員に対する昭和五二年一二月四日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告佐藤幸子のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、原告佐藤寿樹と被告との間においては被告の負担とし、原告佐藤幸子と被告との間においてはこれを二分し、その一を被告、その一を原告佐藤幸子の負担とする。

四  この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  原告(請求の趣旨)

1  被告は、原告佐藤幸子に対し金一七二五万一七〇〇円、原告佐藤寿樹に対し金五三〇万円及び右各金員に対する昭和五二年一二月四日から各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決並びに仮執行の宣言を求める。

二  被告

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  原告らの請求原因

1  訴外佐藤丹寿(大正一〇年五月三日生、以下「丹寿」という。)は、昭和五一年一一月二四日ころ、被告との間に、被告が丹寿に対し現に自覚症状はないが何らかの疾病が存在するかどうかについて医学的検査を施し、その検査結果について丹寿に通知してその健康の維持増進に資することを内容とする診療契約(いわゆる人間ドック契約)を締結し、被告は、同月二四日から丹寿を被告病院に入院させ検査を開始したが、丹寿は同日午後九時過ぎころ、胆のう造影剤の服用を終えたのち悪心を催し、翌二五日午後〇時三二分、被告病院において急性心不全により死亡した。

2  丹寿の死亡は、いわゆる薬物ショック死であり、検査に当つた被告の履行補助者である医師、看護婦ら被告従業員の投薬に関する左記のような不完全履行に起因するものであるから、被告は債務不履行責任に基づき丹寿の死亡により生じた損害を賠償する責任がある。〈以下、省略〉

理由

一訴外佐藤丹寿(以下「丹寿」という。)が昭和五一年一一月二四日ころ、被告財団法人大原綜合病院(以下「被告病院」又は単に「被告」という。)といわゆる人間ドック契約、即ち、被告が丹寿に対し、何らかの疾病が存在するかどうかについて医学的検査を施し、その検査結果を丹寿に通知して健康の維持増進に資することを内容とする診療契約を締結し、同月二四日から被告病院に入院して検査を受けていたが、同日午後九時過ぎころ、胆のう造影剤の服用を終えたのち悪心を催し、翌二五日午前〇時三二分、被告病院において死亡したことは当事者間に争いがない。

なお、丹寿の死亡原因について、被告も当初丹寿の死因は経口胆のう造影剤ビロプチンによるアナフィラキシー(過敏性)ショックにより惹起された急性の循環不全である旨主張し、この点は当事者間に争いがなかつたものであるところ、被告はその後昭和五五年二月八日付準備書面において、死因は急性の循環不全であり、それがアナフィラキシーショックにより惹起されたものであるが、ビロプチンなる経口剤によるものか否かは不明確である旨主張するに至り、これに対し原告らは、被告の右主張は自白の撤回であり異議がある旨陳述しているのでこの点につき判断するに、丹寿の死亡原因が経口胆のう造影剤ビロプチンにより惹起されたものであるか否かは本件において重要な事実であり、主要事実というべきであつて、被告がいつたんこれを認めながら、後にその主張を覆すことは自白の撤回にあたると解すべきである。しかして自白の撤回については、自白が真実に合致せず、かつ錯誤に基づいてなされたことが証明されれば許されると解すべきであるが(大審院大正一一年二月二〇日判決、民集一巻五二頁)、被告は丹寿の死因に関する従前の主張が真実に合致しないものであることにつき何らの立証もなしていないのであるから、右自白の撤回は許されないものというべく、したがつて丹寿の死因が経口胆のう造影剤なるビロプチンによるアナフィラキシーショックにより惹起された急性循環不全であることは当事者間に争いがないものというべきである。

二しかして丹寿が人間ドックの受検者として被告病院に入院、死亡するに至るまでの経緯等についてみるに、〈証拠〉を総合すると次の事実が認められる。

1  丹寿は、昭和五一年一一月二四日ころ、被告との間に一泊二日の短期人間ドック診療契約を締結し、同月二四日、被告病院に入院したが、同人はそれまでにも五回にわたり人間ドックの経験があり、前回は昭和五〇年一一月二〇日、東京の九段坂病院で検査を受けた。右病院での検査結果によれば、冠硬化の疑い、高コレステロール血症、肝炎及び糠尿病の所見がみられ、いずれも日常生活上注意を要する旨の診断であつたが、検査の際経口胆のう造影剤ビロプチン服用後薬疹が出たことがあつたため、担当であつた榎本医師は、右薬疹は肝機能低下によるためと考え、丹寿に対し精査のうえ治療を行うよう指示した。

2  丹寿は被告病院入院に際して、予め被告病院から交付されていた「人間ドック質問表」に自ら所定事項を記入して持参し被告病院に渡したほか、九段坂病院での検査結果表も持参したが、これは結局被告病院へは提出しなかつた。

右「人間ドック質問表」は人間ドック受診者の氏名、年令、職業、既応症、現在治療中の病気、人間ドック受診歴等一般的記載事項のほか、循環器系、呼吸器系、消化器系、神経、頭、皮膚、筋肉、関節、目、耳、鼻、泌尿、性器系、婦人科及び過敏症の各セクションにつき合計七三項目の質問事項があり、受診者は入院に先立つて予め右各項目を検討して該当項目につき○印でチェックし、或いは所定欄に当該事項を書き込み、入院時に被告病院へ提出することになつているものであるが、右質問事項中には、35発疹が出やすい、36じん麻疹が出たことがあるという項目、過敏症のセクションには、70解熱剤・鎮痛剤で発疹がでた(グレラン、セデス)、71ペニシリンの注射後異常を見た、72化粧品にかぶれやすい、73その他特異体質がある、という項目があるが、丹寿が被告病院に入院に際して提出した質問表には、右のいずれの項目にもチェックはなされていなかつた。

3  被告病院では受診者が提出した質問表を人間ドック担当の看護婦が検討し、異常な点や問題点があれば担当医師に報告するが、看護婦から特に通知のない限り担当医師は人間ドックの諸検査に先立つて受診者と面接することはなく、検査を終了し二日目の退院時に初めて受診者と面接してその時までに判明している検査結果に基づいて健康管理等の方針を指示することになつており、丹寿の場合も一日目の諸検査及びビロプチン服用に先立つて担当医師との面接はなかつた。

4  丹寿は、一一月二四日午前八時三〇分ころから眼科、肝機能、心電図、検尿検便、血液検査等一日目に予定されている諸検査を終え、午後九時ころから翌日の胆のうの検査のためビロプチンのカプセルを五分おきに一カプセルずつ飲み始め、五カプセル飲み終えた九時二〇分ころ不快を覚え、入院していた四階合同病棟の看護室へ行つた。

ビロプチンの服用については、午後四時ころ担当看護婦が丹寿に指示したものであるが、その際担当看護婦は丹寿に対し、ビロプチン服用の経験及びその時気分が悪くなつたことはないかどうかを尋ねたところ、丹寿は、以前五回飲んだことがあり、なんともなかつたと答えたので、担当看護婦はビロプチンの飲み方を説明して帰宅した。丹寿は指示に従つて午後九時からビロプチンの服用を始めたが、その時は医師及び看護婦の立会いはなかつた。

5  丹寿は不快を訴え看護室に来るとすぐトイレへかけ込み、当直看護婦がトイレへ行き症状を尋ねても排便の為の怒責のみで反応がなく、名前を聞くと佐藤とのみ聞きとれる状態であつたのでドアを開いてみたところ、丹寿は便失禁状態で倒れており、顔面蒼白、冷汗が出て口唇にチアノーゼがあり、眼を閉じて呻吟しており、呼吸停止、心停止状態であつたため、当直看護婦は当直医に連絡するとともに心マッサージを行つた結果、丹寿は深呼吸がみられ開眼し、名前を呼ぶと返事をするようになつた。

当直医であつた大原医師は、当時一階のICU病棟(集中看護病棟)で当直勤務を行つていたが、午後九時三〇分ころ、四階の合同病棟から、患者が急変したとの連絡を受け直ちに現場へかけつけたところ、丹寿は下半身を大便所の個室の中へ、上半身を通路に出して仰向けに倒れており、前記一般状態のほか、瞳孔不同はなかつたが呼吸抑制が認められ血圧測定は不能であつた。同医師は何らかの原因でのショック状態と考え、ショックを和らげ血圧を上げるためソルコーテフ五〇〇ミリグラムを注射し、丹寿を移動させるため看護婦に担架を持つてくるよう指示し、マスク式人工呼吸器で呼吸の補助を行い、心筋の収縮力を高めるためノルアドレナリンの心腔内注入及び心臓マッサージ等の処置を行つた。そのうちに内科の井上医師もトイレへかけつけてきた。大原医師は三〇分ないし四〇分位救急処置を行つた後、丹寿を担架で四階のリカバリールームへ運んだが丹寿の呼吸状態は回復せず更に悪くなつたため、気管内送管を行い同時に点滴による輸液、心臓マッサージ、ノルアドレナリン心腔内注入等の処置を行ううち高木医師、本間医師、院長ら内科の医師全員がリカバリールームへかけつけなおも蘇生術を続行し、午後一一時ころには原告幸子も被告病院にかけつけたが丹寿の容体は改善されず、結局、翌二五日午前〇時三二分死亡するに至つた。

6  丹寿死亡の原因となつたビロプチンは、昭和三五年から日本シェーリング株式会社が発売しているヨード系経口胆のう胆管造影剤であるが、同社の昭和四〇年から昭和五一年までの販売個数は約一〇六万五〇〇〇個(六球五個入)で人数に換算すると約五三二万五〇〇〇人分であり、同社に報告のあつた副作用の件数は昭和四六年から昭和五一年まで本件死亡事故を含めて三三件で、そのうち死亡例は本件が初めてであつた。

そして一般にヨード系経口性胆のう造影剤の副作用としては、一過性の嘔気、嘔吐、下痢、腹痛、排尿痛、或いは過敏性反応としてじん麻疹、発疹等が現われることがあるが、重篤な例は少なく、過去においての死亡例は外国において約六〇万例中に一例報告されているにすぎず、日本においては本件が初めてである。

しかし、経口性胆のう造影剤も静脈性胆のう造影剤に比べれば副作用の発現率は低く比較的安全な薬品であるが、重症の、肝・腎機能障害、甲状腺疾患やヨード過敏性には禁忌であり、副作用を防止するためには服用前の問診を十分に行い、服用について注意すべき事由が認められれば、服用の必要性との関連で慎重に使用すべきであり、また、ヨード過敏症反応によるショック等の重篤な死に至る副作用は急激に起つてくる場合が多く、その治療は分時を争うことがあり、そのために十分な救急処置を施せる体制を整えておく必要があることは本件事故以前から医学界において指摘されていた。

7  被告病院では以前から胆のうの検査のためビロプチンを使用していたが、内科の医師はビロプチンについて特に副作用もなく安全な薬品と考えており、昭和五一年には毎月一〇〇人分位を使用していたが、外来患者の胆のう検査に使用することの方が多く、特に肝・腎臓が悪いか既往症があれば注意して使用していたが、それ以外は服用方法を指示し家に持参させて服用させていた。本件事故当時被告病院で使用していたビロプチン添付書は昭和四九年改定のものであつたが、右には使用上の注意として、「肝及び腎の重篤な実質障害がみられる場合、バセドウ病、ヨード過敏症の場合には投与しないことが望ましいが、やむを得ず投与する場合は慎重に投与すること。本剤服用により、とくに敏感な症例では、悪心、嘔吐、蕁麻疹、下痢、胃圧迫感等の症状発現をみることがある」との記載があつたが、特にショックについての注意書きはなかつた。しかし、厚生省の指導により昭和五一年七月に改定された添付文書には「重症肝障害、重症腎障害、甲状腺機能亢進症、ヨード過敏症の患者には投与しないことを原則とするが特に必要とする場合には慎重に投与すること、副作用として、過敏性、まれにショック様症状、悪心、嘔吐、蕁麻疹などの過敏症状があらわれることがあるので、症状により緊急処置を講ずること」との記載があり、ショックについての注意も記載されていた。

8  本件事故後、被告は人間ドック学会に本件事故例を報告し、同学会ではそれに基づいて全国の人間ドック実施病院に注意書を配付した。被告病院でも本件事故後外来でのビロプチン投与の必要がある患者については、一カプセル服用させ三〇分以上経過をみて、異常がなければ自宅で服用させる処置をとつている。

以上のように認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

三原告らは、被告が人間ドック診療契約の債務の履行につき、履行補助者たる医師、看護婦ら被告従業員がビロプチン投与について事前に医師の面接による問診を怠り、さらに、ショックに備え十分な救急設備体制を整えていなかつた点に、被告の債務不履行があつたと主張するので以下判断する。

1  いわゆる人間ドック診療契約は、受診者が何らかの疾病の自覚症状がない場合でも、成人病等の早期発見等のため病院ないし医師に医学的検査、診察を依頼し、病院ないし医師は右依頼により諸検査を施行し、その検査結果に基づいて受診者に何らかの疾病もしくは身体的障害を発見した場合はその内容を報告して適切な治療上の指導を行い、或いは受診者の健康管理等に資するため適切な日常生活上の指導を行うことを内容とする診療契約と解するのが相当である。したがつて、右依頼を受けた病院ないし医師は医学技術上適正な手段で十分慎重に注意深い検査ないし診療を実施し適切な指導を行うとともに、検査のため特定の薬剤を使用することにより受診者の身体に重大なショック等の副作用が発現しその生命に危険のあることが予知できる事態が生じた場合には、かかる危険を未然に防止するため万全の措置を講ずべき義務があるというべきである。

2  本件において丹寿の人間ドックの担当医師は内科の本間医師であつたが、人間ドック担当医師が問診及びその後の処置について具体的にいかなる義務を負担しているかを考察するに、前記認定によれば、被告病院で使用している胆のう造影剤ビロプチンは副作用が少なく比較的安全な薬剤と考えられていたものの、重症の肝・腎機能障害、ヨード過敏症等の場合には投与しないように、止むを得ず投与する場合には慎重に投与するように注意されているものであり、ヨード系造影剤によるショック例もその数はそれ程多くはないが医学専門誌上に報告されており、事故当時被告病院で使用していたビロプチンの添付文書にはショックについての記載はなかつたが昭和五一年七月に厚生省の指導により改定されたビロプチンの添付文書には副作用としてショックについての注意もなされており客観的には被告もこれを知り得る状態であつたし、また、前記各証拠によればヨード過敏症についてはこれを造影剤感受テスト等により予知することは難しいと考えられていたのであるから、人間ドック担当医師としては、ビロプチン投与前に相当な問診を行い、受診者から右禁忌を知り得べき諸事由についての情報を得られるような具体的、個別的な適切な質問をなし、特にヨード過敏性の有無については、同薬剤の使用経験、その時の副作用の有無について、具体的に例をあげる等して尋ね、もしこれが認められた場合は症状によりビロプチンの使用を中止するか、少なくとも医師ないし看護婦の面前で服用させ、かつ、重篤な副作用の発現に備えて直ちに救急処置を取り得る体制を整えておくべき義務があるというべきである。

しかるに、前記認定によれば、本間医師は丹寿に対して直接面接による問診をなさず、医師ないし看護婦の立会いなしにビロプチンを服用させたものであり、丹寿は昭和五〇年の九段坂病院での検査の際薬疹が出た経験を有し、この事実は特に医師に対して告知を憚る事柄とは考えられず、また丹寿は本件検査の際に九段坂病院での検査結果表を持参していたのであるから、本間医師において直接問診をなし具体的、個別的に発問していれば、右事実は告知され、検査結果表も提出されていたであろうことは容易に推認されるのみならず、右事実及び検査結果表が本間医師に判明すれば丹寿に対するビロプチン投与について慎重になされ、かつ副作用に備えて救急体制の整備がなされることにより、丹寿の死亡の結果を回避できたであろうことも推認するに難くない。そうとすれば、本間医師はこの点において人間ドック担当医師に要求される義務を尽さなかつたものといわなければならない。

3  被告は、人間ドック質問表をもつて問診に代えることが慣行として認められていたのであり、また、担当看護婦がビロプチンの服用を指示した際、丹寿に対し服用歴、その時気分が悪くならなかつたか等を尋ねており、丹寿は右いずれに対しても九段坂病院での検査時に薬疹が出たことを申告しておらず、同病院での検査結果表も被告病院に提出する機会はあつたにもかかわらず提出しなかつたのであるから、丹寿は問診における医師に対する協力義務を怠つたものであり被告に債務不履行はないと主張する。

しかし、およそ問診は、診断、検査、治療等に先立つて当該患者について何らかの医学的判断をなすための手段として用いられるものであり、本来医師と被問診者との面接によつてなされるべきものであつて、問診票等による情報の収集のみにより問診に代えることは相当ではなく、さらに、問診を行う医師としては、個々の被問診者はその理解、表現能力、性格等に個人差があるのであるから、被問診者が医師の質問を十分理解したか否かに留意し、必要な情報を得られるに足りる程度に具体的、個別的内容の発問を行うことを要するものであり、被問診者の協力義務は医師のかかる発問を前提として論ぜられるべきものである。

本件においては、そもそも医師の問診はなく、人間ドック質問表をもつて問診に代える慣行があつたとしても、前記認定の各質問事項について、医学的には素人である受診者が、医師の必要とする事項を念頭において記載し得るものとはとうてい解されないから右質問表をもつて医師の問診に代えることは相当ではない。また、担当看護婦が丹寿に対し被告主張のような発問をしたことは認められるが、その内容は必ずしも具体的、個別的なものとは言えないし、看護婦による発問は当該受診者にとつては医師による問診とは質的に差異があるものと考えられ、また、証人大堀弘子の証言によれば、同人はビロプチンは軽い副作用がある程度で安全な薬剤であるとの認識を持つており、丹寿に右質問をした際にショックのことは考えていなかつたものと認められるから、担当看護婦が丹寿に対しビロプチンの使用歴、その時気分が悪くなつたようなことはないか等と尋ねたことをもつて被告がなすべき義務を尽したとは解されない。よつて、被告の主張はいずれも採用できない。

4  次に、被告は、丹寿の死亡は通常人にはない特異体質によるもので、右特異体質は現代医学では予知不可能であり、本件事故は極めて稀に発生する事例であるからビロプチン投与により死亡の結果を生ずることは全く予見できなかつたと主張する。確かに、ビロプチン投与によつて丹寿の体内における自然科学的生理反応の構造を予知することは不可能であるとしても、本間医師が相当な問診をしていれば丹寿が以前の人間ドック検査時に薬疹が出たことを知り得、何らかの処置を講ずることにより丹寿の死亡を防げたであろうことは前記のとおりであり、本間医師が債務不履行を免れるためには、同医師が相当な問診をなし、右事情を知つてもなお丹寿の死亡を防げなかつた特段の事情を被告において主張立証することを要するものと解すべきところ、本件において右事情の立証はないから、被告の右主張は採用できない。

四以上認定判断したところによると、丹寿に対し胆のう造影剤ビロプチンを投与するに際し、医師が問診をしなかつたため丹寿のヨード過敏症を予知し得ず、その結果本件のような死亡事故が発生するに至つたものであるから、丹寿に対する被告の診療義務の履行につき右の点において不完全な点が存したものというべく、したがつて被告は右債務不履行により生じた損害につき賠償する責任があるというべきである。

五そこで原告らの損害について判断するに、原告らは被告の債務不履行により原告らが丹寿から扶養料の支給をうける権利を侵害され損害を蒙つた旨主張するけれども、債務不履行による損害賠償は、契約関係の一方の当事者が契約の不履行によつて他方の契約当事者に生ぜしめた損害を賠償させる制度であるから、契約関係の当事者でない第三者は、その蒙つた独自の損害について契約関係の不履行即ち債務不履行を理由として損害の賠償を請求することはできないものといわなければならない。

本件についてこれをみるに、原告らの主張する右扶養料の支給をうける権利を侵害されたことによる損害は丹寿の蒙つた損害ではなく原告らの蒙つた損害であるから、債務不履行を理由として請求し得るものではないものというべく、原告らの請求する原告らの固有の慰藉料並びに原告幸子支出にかかる葬儀料も同様の理由によりこれを認め得ないものといわなければならない。

六よつて、本件債務不履行によつて丹寿に生じた損害について検討すると、

1  〈証拠〉によると、丹寿は大正一〇年五月三日生まれ死亡時五五歳の男子で、昭和五一年五月一日大蔵事務官を退官すると同時に同日自動車保険料率算定会福島調査事務所調査員見習として採用され、同年八月一日本採用となり、死亡時一か月当り付加手当を含めて金一二万八四九〇円の給与を支給されていたほか、同事務所においては少なくとも年間に給与の三か月分の賞与が支給されることになつていたこと、また、丹寿は、昭和五一年九月二四日、国家公務員共済組合より、国家公務員退職後年間金一六六万九五四九円の年金の支給を受ける旨決定されていたこと、原告幸子は昭和六年一〇月一日生まれで、昭和三〇年一〇月四日丹寿と結婚し以来丹寿と同居して生活を共にしてきたが、丹寿死亡により、昭和五一年一二月より国家公務員共済組合から年額九三万四九八〇円の遺族年金の支給を受けることになつたこと、原告寿樹は昭和三一年八月一四日生まれ丹寿の長男で、丹寿死亡時国立茨城大学理学部一年の学生であることが認められる。

2  しかして、丹寿の平均余命は厚生省第一四回生命表によると21.35年であり、丹寿は本件事故により死亡しなければ六七歳まで就労可能であつたと推認されるから、前記認定の丹寿の収入を基にして生活費として収入の三分の一を控除し丹寿の死亡時における逸失利益の現価をホフマン式計算により算出すると、その金額は次のとおり金二七五三万八四七一円となる。

①+②=2753円8471円

3  したがつて、原告幸子は丹寿の妻として右逸失利益の現価の三分の一である金九一七万九四九〇円(うち退職年金の分が金五二三万二六六三円)を、原告寿樹は丹寿の子としてその三分の二である金一八三五万八九八〇円をそれぞれ相続することとなる。

4  ところで原告幸子が昭和五一年一二月から年額九三万四九八〇円の遺族年金の支給をうけているので、同原告が、昭和五一年一二月から、本件口頭弁論終結時である昭和五五年二月八日まで受領済の三年分の遺族年金金二八〇万四九四〇円を控除する(最高裁昭和四一年四月七日第一小法廷判決民集二〇巻四号四九九頁、最高裁昭和五〇年一〇月二四日第二小法廷判決民集二九巻九号一三七九頁、最高裁昭和五二年五月二七日第三小法廷判決民集三一巻三号四二七頁、最高裁昭和五二年一〇月二五日第三小法廷判決民集三一巻六号八三六頁参照)と同原告の請求しうる金額は金六三七万四五五〇円であり、原告寿樹が被告に対して請求しうる額は金一八三五万八九八〇円となる。

七なお、原告らは本件訴訟追行に要した弁護士費用を請求するけれども、債務不履行による請求の場合には、提起された訴訟において債権者が弁護士に訴訟代理を委任して訴訟をなした場合であつても、債務者は「民事訴訟費用等に関する法律」の規定の範囲外において費用を賠償すべき責はないものであるから、原告が弁護士に支払つた報酬及び手数料はこれを賠償すべき義務はないものと解すべきである(大判大正四年五月一九日、民録二一輯七二五頁参照)。

したがつて弁護士費用の支払を求める原告らの請求は理由がないものというべきである。〈以下、省略〉

(伊藤和男 斎藤清実 荒井純哉)

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